カテゴリー: 地元の紹介

NEGIROCK(ネギロック)

駅前の渋沢栄一翁広場でも「ネギロック」・・・
   
ふっかちゃん横丁駐車場でも「ネギロック」・・・
   
本住町のハタヤさん跡地でも「ネギロック」・・・
   
本町メインステージ入口でも「ネギロック」・・・
   
本町の「レンガホール」でも「ネギロック」・・・
メインステージは当たり前に「ネギロック」・・・
   
一昨年・昨年・今年と、若手の企画は大したもんです。
   

お陰様で大盛況m(__)m。

どちらを向いてもいっぱい・・・お陰様で大盛況m(__)m。
   
昨日はoyabinいなかったので・・・本日はお手伝いでした。
   
昨日ふっかちゃんを2002埼玉スタジアムに連れ出しちゃった?
ので・・・見かけて一安心。ミルクおやじさんも頑張ってます。
   
事務局の皆さんお疲れ様でした。いい産業祭になりましたね。
   
商店街連合会の皆様はコスプレでした、〇メガネの小暮さんも。
   
イベントも盛況、飲食ブースも売れていたようでよかったです。
   

カミさんとハシゴ

今夜はふたり・・・で、近所のお店で夕食です。
        
一件目は「ねぎ」、焼き鳥&串揚げのお店です。
        
どちらかと言うと、食事よりも飲みが主のお店、
リーズナブルで若い人に人気でいつも満席です。
        
二件目は「ハマグリ屋」ピザ&イタリアンのお店で
        
oyabinは、ここは美味しいと思います。如何ですか。
        

じゃがいもゴルフコンペ「優勝」

本日は、地元JCの「じゃがいもゴルフコンペ」、oyabinとこで開催。
地元から1時間・・・遠いのに毎年ご利用頂き感謝m(__)mしてます。
   
パーティーも恒例で地元「きんぎょや」、現役の皆さん設営お疲れ様。
   
なんと30年ぶりに「優勝」しまいました。同伴者のお陰ですm(__)m。
   

大沼食堂

ランチで行く「大沼食堂」に、夕食で初めてお伺いしました。
店内は仕事あがりの職人さん(地元の)でいっぱいでしたよ。
   
別々に来て、同じテーブルで、飲んで駄弁って、勝手に帰る。
当然清算も別々・・・昔ながらの飲み屋、昭和発見しました。
   
お客さんは顔見知りばかり・・・、oyabinは家族で夕食です。
   
帰りがけに「社長も来るんですね~。」と声をかけられました。

岡部チサン・・・

夫婦ともにメンバーだった地元のゴルフコース、本日久々にお伺い。
   
知らないうちに会員権利をなくされた?憤りも年数とともに治まり、
oyabinとこ本日休業日だということもあり・・・、何しろ近いので。
   
いろいろ参考になることもありました。PGMになってからコースも
随分と変わりましたね・・・、昔からのスタッフは一人だけでした。
   
参考になることも多く、運営努力が感じられ・・・楽しかったです。

次年度壮行会

本日は地元青年会議所の「次年度壮行会」で、埼玉グランドホテル。
        
壮行会?と言っても、内容は次年度理事長予定者の紹介の場なのです。
        
関根理事長あとひと踏ん張りですね。内田OB会長はほぼ終了ですかね。
        
次年度理事長は「須藤悟さん」スローガンは「共創」、頑張って下さい。

今日も頑張って

本日も引続き「ふじえだ産業祭2018」、朝食後会場へ・・・
   
準備完了、とは言っても昨日売り過ぎで本日の商品はこれだけ
   
早く売って?、早めに帰ろうと思います。お疲れ様でしたm(_ _)m。
   
今井君のお勧めで会社にお土産。帰路の富士山↗、先程帰社しました。

塩屋崎灯台~

震災当時はこの灯台の南北には堤防もなく、甚大な被害だったようです。
   
下り中に、同行の皆さんが塩屋崎灯台(踊り場?)に見えたのでカシャ。
   
帰りがけに「いわき・ら・ら・みゅう」に立寄り、お土産買ってきました。
   
震災以降こちらの近海物は、目光(めひかり)とカツオだけなんですって。
   
ラストは「市場食堂」目光の天麩羅が美味しかったです。夕方には帰ります。
   

あまりに広大過ぎます・・・

直線20Km奥行きも・・・あまりに広大過ぎます。車もそのままの住宅地↓、
屋根に瓦の乗った新築中の家・・・、その横も「特定廃棄物埋立処分施設」。
   
「浪江消防署(新築?)」に到着・・・、その前にはの「浪江町役場」です。
   
永く帰宅困難区域だったこの町・・・今でも一部を除きそのままなのです、
震災前に30,000人だった人口は、帰宅困難区域が一部除外され現在500名。
   
津波被害は復興が目に見えてわかりますが、放射能汚染の現実はこれです。
   
報道されない現実・・・言葉になりませんでした。ここで復興作業に従事
している活発に動いている多くのトラックを見ていて不思議な感覚でした。

 

 

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