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マルセイバターサンド
塩屋崎灯台~
震災当時はこの灯台の南北には堤防もなく、甚大な被害だったようです。

下り中に、同行の皆さんが塩屋崎灯台(踊り場?)に見えたのでカシャ。

帰りがけに「いわき・ら・ら・みゅう」に立寄り、お土産買ってきました。

震災以降こちらの近海物は、目光(めひかり)とカツオだけなんですって。

ラストは「市場食堂」目光の天麩羅が美味しかったです。夕方には帰ります。

塩屋崎灯台
薄磯海岸の海抜73メートルの断崖に立つ(山の上に小さく見える)のが「塩屋崎灯台」。

道路を隔てて北側には、故美空ひばりさん「みだれ髪」歌碑、遺影碑が建つ、雲雀乃苑。

頑張って登ってみました。10分程度でしょうか、灯台(200円)にも上ってみましたよ。

凄い絶景が見られます。高いとこが比較的好きなoyabinなのですが・・・風が凄くて

携帯が落ちそう?・・・若干めまいも?・・・するくらい少々怖い感じがしました。

国宝 白水阿弥陀堂
正式名称は「願成寺阿弥陀堂」、福島県いわき市にある真言宗智山派の寺です。

平安時代末期の1160年に、岩城則道(岩城氏の祖)の妻・徳姫(藤原清衡の娘)

が、夫・則道の菩提を弔うために寺(願成寺)を建て一角に阿弥陀堂を建立した。

白水は泉の上下ですからね。平泉の中尊寺、藤原3代の流れを感じられますよ。
宴会~2次会~朝食
深谷地区防火安全協会の研修視察旅行の宴会、伊藤副会長の挨拶で開始。

事務局の皆さんお疲れ様でした。写真は載せませんが余興もm(__)m。

本日は広瀬会長の誕生日だそうです、「会長おめでとうございます。」

皆さん昨夜はどうでしたか?、記憶のない方もいらっしゃるようですが。

舌鼓の宿「浜徳」
こよいの宿は、福島県いわき湯本温泉「舌鼓の宿 浜とく」、PM5:30到着。

部屋に入ると目の前は、連れてってでお馴染み「スパリゾートハワイアンズ」

スパ等沢山のお風呂があるようですが・・・oyabinは混んでいるのが嫌なので

地下1Fの大浴場(といっても小さいです)。さ~てこれから「大?宴会」です。

あまりに広大過ぎます・・・
直線20Km奥行きも・・・あまりに広大過ぎます。車もそのままの住宅地↓、
屋根に瓦の乗った新築中の家・・・、その横も「特定廃棄物埋立処分施設」。

「浪江消防署(新築?)」に到着・・・、その前にはの「浪江町役場」です。

永く帰宅困難区域だったこの町・・・今でも一部を除きそのままなのです、
震災前に30,000人だった人口は、帰宅困難区域が一部除外され現在500名。

津波被害は復興が目に見えてわかりますが、放射能汚染の現実はこれです。

報道されない現実・・・言葉になりませんでした。ここで復興作業に従事
している活発に動いている多くのトラックを見ていて不思議な感覚でした。
言葉になりません・・・
帰宅困難区域(その距離20Km)に入ります。震災津波で朽ち果てたパチンコ屋、

6号線には「放射能線量」の掲示、側道は検問があるか通行禁止かのいずれか・・・

帰宅困難区域になり、機材の車両も置き去りのまま閉鎖されたGSや土木建設会社、
商品が陳列されたまま閉鎖のコンビニ、衣服が陳列されたまま閉鎖の「しまむら」

向こうに見えるのが福島第2原発(廃炉予定)、こちらは「特定廃棄物処理施設」。

知らされない現実・・・
ご説明にあたって「双葉消防活動ドキュメント」という冊子をいただきました。

ここには数ページですが・・・これを見ただけでも当時の壮絶さがわかります。

ここ富岡消防署は、震災から6年ようやく昨年の7月に移転新築された庁舎です。
もとの庁舎は、東京電力福島第1原発事故による帰還困難区域内にありました。

鉄骨3階、延べ床面積1568平方メートル、ポンプ車など車両8台を備えます。
最大の特徴は、原子力災害に備え、線量計など関連資機材倉庫が建物内に・・・。

富岡消防署へ・・・
必要なのかもしれませんが、「福島第一原発20km圏内ツアー」もあります。
東電は、「福島第一原発の視察者数、東京五輪までに2万人目指す」そうで

↑こちらはその東電バスのようです。向こうに見えるのは↑、福島第2原発です。

そこら中に↑「特定廃棄物埋立処分施設」。こちらは↗、東電のバスの発着場?。
国道6号線を行きかうトラックは全て「特定廃棄物等運搬車」の表示があります。

「富岡消防署」到着、準備万端(テーブルには名札まで)で迎えてくれました。



